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大阪高等裁判所 平成元年(う)576号 判決 1990年7月13日

本籍

神戸市兵庫区荒田町四丁目五七番地

住居

神戸市兵庫区福原町三番六号 岩本喜真江方

無職

外池新吉

大正七年一月一九日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、平成元年四月二五日神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 藤野千代麿 出席

主文

原判決中被告人に関する部分を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小川眞澄、同山上東一郎、同中村雅行共同作成の控訴趣意書及び控訴趣意書(補充)各記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官大口善照作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判決の量刑不当を主張し、被告人に対しては、その刑の執行を猶予されたいというので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討するに、本件は、食肉等の輸入卸小売等を目的とする株式会社エスティーシィー(旧商号シンガポール産業株式会社)の代表取締役であった被告人が、右会社の業務に関し、昭和五九年五月一日から同六〇年四月三〇日、同六〇年五月一日から同六一年四月三〇日、同六一年五月一日から同六二年四月三〇日までの三事業年度において、合計三一億九〇九〇万円余の所得を秘匿し、合計一三億六〇八二万円余の法人税を免れたという事案であるところ、原判決も量刑の理由で指摘するように、右ほ脱額は極めて多額であるばかりでなく、前記三事業年度における平均ほ脱率は約九二パーセントにも上り、この種事犯としては他に類例をみない大規模な脱税事犯であること、犯行の動機、態様は、円高の影響等で右会社に多額の利益を生じたことを奇貨として会社に資金力をつけ、あるいは子供らに財産を残すために、当時専務取締役であった長男外池詳和らに指示して架空仕入れの計上、売上除外及び棚卸資産の除外等の方法を用い、これにより捻出された金員は仮名の預金口座に入金して貯蓄するなどして多額の所得を秘匿したものであること等に徴すると、被告人の刑事責任は重大であり、本件について右会社が修正申告の結果、前記三事業年度分の本税、重加算税等合計一九億五八九九万円余及び同期間中の法人事業税、地方税として合計六億七五四二万円余を全額納付していること、右会社の経理体制を整備して自らは代表取締役の地位を退いてこれを右長男に譲り、又食肉業界の役員を辞任する等して反省していること、これまで各種団体、施設等に多額の寄付をして社会のために貢献してきたこと、その年令と健康状態(腸管癒着症、変形性足関節症、胸背部ヘルペス等の持病を有している。)を斟酌しても、原判決時を基準とする限り、被告人を懲役二年の実刑に処した原判決の量刑は重過ぎるとは認められない。

しかし、当審における事実取調べの結果によれば、原判決後、被告人は法律扶助協会に金一億円を贖罪寄付し、更に社会福祉関係の団体にも同額の金員を寄付することにより、自己の犯罪行為に対する呵責の念を社会福祉等に裨益する形で示し、反省の情を更に深めていることが認められる他、現在七二才(大正七年一月一九日生)の老齢にある被告人は、軽度の知的機能低下を中核症状とし、感情障害、意欲障害、行動障害等を周辺症状とする老年痴呆(アルツハイマー型)あるいは、これと脳血管性痴呆との混合型痴呆に罹患し、現に治療中であるところ(平成二年七月一〇日現在)、かりに被告人が拘禁状態に置かれた場合には右周辺症状を急激に悪化させ、重篤なうつ状態または錯乱状態を惹起し、知的機能の低下を招き、痴呆が急激に進行する高度の蓋然性が存し、前記腸管癒着症、変形性足関節症等の身体的疾患も憎悪因子として痴呆を進行させる可能性が存するという状況にあることが認められる。もっともこのような事情は、刑事訴訟法四八二条の定めるところにより、刑の執行段階において配慮するのが本来の趣旨ではあるが、同時に同法二四八条は、検察官が公訴提起の要否を決定するにあたって、犯人の年令、境遇並びに犯罪後の情況等の事情を考慮したうえ公訴を提起しない処分をすることを認めており、この規定の趣旨は、判決にあたって刑の執行を猶予すべきか否かを決定するに際しても準拠となり得るものと解するのが相当である。そして本件被告人の場合、判決時において、拘禁が被告人の心身に重大な影響を及ぼす蓋然性が高く、受刑に耐えられないことが容易に推認され、万一受刑することとなれば、これにより将来被告人が社会内において再起する可能性を奪う結果を招来するおそれが極めて強いことが予見されるので、前記の趣旨に基づき、自由刑に執行猶予を付するか否かの判断にあたり一つの情状として考慮することが刑政の理念にも適うものというべく、従ってこれらの情状に前記被告人のために酌むべき諸事情とを併せ考慮すると、現時点においては原判決の量刑をそのまま維持することは、刑期の点はともかく、被告人に執行猶予を付さない点において酷に失するに至ったものと認められる。

よって、刑事訴訟法三九七条二項により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により更に判決することとし、原判決の認定した事実に原判示各法条のほか刑法二五条一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 近藤暁 裁判官 梨岡輝彦 裁判官 片岡博)

平成元年(う)第五七六号

法人税法違反

控訴趣意書

被告人 外池新吉

右被告人に対する頭書被告事件につき、平成元年四月二五日神戸地方裁判所が言渡した判決に対し、弁護人から申立てた控訴の理由は左のとおりである。

平成元年九月二五日

右被告人弁護人

弁護士 小川眞澄

弁護士 山上東一郎

弁護士 中村雅行

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

原審裁判所は、罪となるべき事実として、公訴事実と同旨の事実を認定した上、「被告人を懲役二年に処する。」旨の判決を言い渡したが、右判決は以下に述べる理由により執行猶予を付さなかつた点において、量刑重きに失し不当であるから破棄を免れない。

一、被告人は健康上重大な疾患を有しいる上、七一歳半ばを越えた高齢者である。

1 健康上問題がある者や高齢者、特に七〇歳を越える者の処遇をいかにするべきかは刑事政策上の一つの問題であるが、弁護人はこうした者に対しては原則として社会内で処遇するのが相当であると考える。なぜなら、これに対する拘禁がその者の健康を害し、精神的にはその荒廃を招くといつた深刻な弊害をもたらし、その一方、拘禁による教育改善には多くの効果を期待しえないことは見やすい道理だからである。

そして、この点については、実定法自らが特別の配慮を示す規定をもうけている。

すなわち、刑事訴訟法第四八二条の一号、二号がそれである。つまり、同条一号は「刑の執行により著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできないおそれのある時は、その執行を停止することができる。」旨を定め、同条二号は「懲役等の言渡しを受けたものが年齢七〇歳以上である時は、自由刑の執行を停止できる。」旨を定めているのである(同条一号や二号は健康状態に問題があつたり、年齢が七〇歳以上であればそれぞれそれだけで刑の執行を停止しうるとしたものであることは、同条の掲げる他の執行停止事由とあわせ解釈すれば明らかである)。

右規定は法自身が健康上問題のある者や高齢者の身柄拘束にあたつては、心身の健康状態に十分の配慮をしなければならないことを認めたものにほかならない。

そして、このことは刑の執行の場のみならず、刑の量定の段階においても妥当することである。むしろ、刑の量定にあたり右の趣旨が最大限尊重されて、はじめて右の立法趣旨が十分に生かされることになるのである(捜査段階でも健康状態や「七〇歳」は逮捕が必要がどうかを決定する基準の一つとされていること、周知の通りである。)

2 これを本件についてみるに、被告人は健康上重大な疾患を有している上、年齢も満七一歳半ばを超えている。

すなわち、健康上の問題として、被告人は腸管癒着症、変形性足関節症、胸部ヘルペスなどの持病があつて、病院通いを欠かせない健康状態であることを指摘しなければならない。被告人は日夜痛みに襲われているばかりか、時々発作にも見舞われ、ひどい時には六時間も意識不明に陥るなど、その症状は深刻化する一方である。

これだけでも重大な疾患であるというべきであるが、被告人の疾患はこれにとどまらない。

つまり、被告人には老人性痴呆症の疑いがあつて、専門家からは次のような誠に重大な警告が発せらさているのである。すなわち、被告人を拘禁状態に置くことは人格の急激な荒廃をきたすことになるというのである(この点控訴審において立証予定)。

3 してみれば、被告人に対し、実刑をもつていどむとすれば、それは教育改善の手段としては、誠に拙劣であつて行刑の効果を期待できないばかりか、その心身に極めて深刻な影響を与えることが必至である。

更に言えば、人格の荒廃をきたすことが判りながら、被告人を実刑に処することは国家の手による人格破壊であり、犯罪的行為であると言っても過言ではないのである。

被告人の教育改善は施設内処遇によつてではなく、社会内処遇によつてのみ可能となるのである。

4 原審裁判所の実刑判決は、なによりもこの点に関する配慮を欠くものと言わざるを得ない。

二、株式会社エスティーシー(旧商号シンガポール産業株式会社、以下(株)エスティーシーという)は本件につき、本税、重加算税等を全額納付ずみである。

すなわち、(株)エスティーシーは、昭和六三年三月付で昭和六〇年度分乃至六二年度分の本税、付帯税等合計一九億五、八九九万三、四〇〇円をすべてを支払った。

さらに、(株)エスティーシーは右同日付で右同期間における法人事業税及び地方税の合計六億七、五四二万七、三八〇円も完納ずみである。

右各支払いの総計は実に二六億三、四四二万七八〇円に達している。これは本来一中小企業としては支払いに耐えられる金額ではないが、それにもかかわらずこれを支払いきつた(株)エスティーシーの納税努力には、並々ならぬものがあつたというべきであり、その誠実な納税態度は十分評価に値するものである。

そして、これを国の側からみると、本件脱税によりかく乱された法秩序も回復されたということである。

すなわち租税犯処罰の目的は、脱税等による租税収入の減少という侵害に対する事前の防禦と事後の是正を講じ、税法が期待する財政需要の充足と課税の公平、適正を確保することにあり、租税犯の保護法益は国又は地方公共団体の課税権とされているところ、本件においては右納税により国庫の租税収入は確保されるに至り、その結果、侵害された法益も回復がはかられたのである。

要するに、国家の最大の関心事である納税の確保が実現したのである。

その意味で、本件の処罰の必要性の相当部分はもはや失われたものと言つても過言ではない。

この点は、被告人に対する量刑を考える上で大いに有利に斟酌されるべき事柄といわねばならない。

三、本件の刑責を被告人のみに問うことは余り過酷である。

1 本件が被告人の納税意識が必ずしも十分ではなかつたことに起因するものであることは否定できないとしても、だからといつて被告人の納税意識の低さを軽々しく非難することはできない。

なぜなら、被告人の納税意識が希薄になったことは、次のような事情に照らし、無理からぬ面もあつたといえるからである。

すなわち、まず第一の事情として、税務当局において、長年、同和出身者が多数を占めているといわれるている食肉業者に対しては、指導監督を放棄しているのではないかと思われても仕方がないほどの杜撰な態度で接していたことがうかがわれ、結果として食肉業者に「肉屋で納税する者はいない。」とか「食肉業界の納税申告はフリーパスであ。」といつた風潮に蔓延を招くに至つていたことがあげられる。

この間、納税当局は、食肉業者に対し、その納税意識を涵養するような指導、助言、監督などを実施していたような形跡はなく、右のような風潮を結果的に黙認していたのである。

こうした状況の中にあつてみれば、食肉業界全体の納税意識がいつの間にか希薄になつたり、麻痺しかかつたりしても不思議ではない。

してみれば、同和出身者である被告人の納税意識が希薄であつたとしても、それは食肉業界に身を置く人間としては、やむからぬ面があつたともいえるのである。

次に第二の事情として、被告人は、税務当局の食肉業界に対する対応の甘さについて、それは社会が長年被告人ら同和出身者を差別していたことに対し、国が食肉業者に与えた恩恵であると理解していたことを指摘しうる。

すなわち、被告人は同和出身者としては長らく差別の歴史の中での生活を余儀なくされてきたもので、そうした被告人にとつてみれば、税務当局の対応を右のように受けとめ、その結果納税意識が希薄化したとしてもそれをいちがいに誤りときめつけたり非難したりすることはできないのである。

こうした意味において、本件で強く指摘されなければならないのは、同和ということで、被告人ら食肉業界に適切な指導を行わず、被告人らを特別扱いしてきた納税当局の姿勢こそが本件犯行を誘発する結果となつたということである。

2 原審裁判所は納税当局の姿勢が本件を誘発する結果となつた点に対する配慮を全く欠いている。それどころか、原審裁判所は、右に関し、「被告人の納税意識の希薄さには顕著なものがある。」旨判示し、その根拠として、被告人が昭和五八年及び同六〇年に(株)エスティーシーにつき税務署の調査を受け、修正申告を余儀なくされた事実を指摘している。

しかし、右調査は被告人の納税意識を喚起するに値するものではなかつたのである。

すなわち、それは必ずしも厳しい調査ではなかつたようであり、むしろ程度の額を修正申告して納税しさえすれば、それで事足りるといつた感じの調査であつたことがうかがわれる。少なくとも税務当局において、その時点において、(株)エスティーシーの所得を徹底的に調査するとか、刑事事件による裁判を警告するとかの再犯防止のための適切な措置をとつた形跡は認められないのである。

税務当局の食肉業界に対する対応が甘いといつた既成事実の積み重ねがあつただけに、右のような調査をもつてしては、被告人がその先も申告漏れの場合修正申告することで通用していくものと考えたとしてももつともなことである。

それゆえ、このことで納税意識が希薄であるとして被告人のみを責めることはできないのである。

四、被告人に実刑を科することは、巨額の申告漏れを指摘されながら、刑事訴追に至らなかつた同業者に対する処分に比し、余りに不公平である。

すなわち、本件と時期を同じくするころ、同和の実力者である浅田満の経営にかかる食肉輸入販売の大手「ハンナン」が、三年間で五五億円の申告漏れを指摘され修正申告するに至つているが、右「ハンナン」は架空加入によつて利益を圧縮したり、ペーパーカンパニーを作つて手数料を支払つたようにするなどの方法で、所得を過少に申告したり隠幣したりしていたもので、その金額や規模は本件を大きく上回つている(この点控訴審において立証予定)。それにもかからず、この件は刑事訴追を免れているのである。

同業者同志で、時期も同じころの二つの事件で金額や規模において右の件を下回る本件のみが刑事訴追されたことは誠に不公平なことと言わなければならない。

もつとも、右「ハンナン」の件が刑事訴追に至らなかつたのは、修正申告とこれに基づく納税が比較的すみやかになされたという点が考慮されたのかもしれない。

しかし、もしそうであるならば、この措置は結局のところ、租税収入が確保されたが故に刑事訴追の必要を認めなかつたというに帰する。

とすれば、先に指摘したようにすでに本税、付帯税等の支払いがすべて完了している本件にあつては、本来その刑事処罰の必要性はないものとしなければ公平を欠くことになるであろう。

従つて、公平な処罰の実現という面からみても、被告人には是非とも執行猶予の恩典が与えられるべきである(被告人を実刑にすることは、取りかえしのつかない余りに不公平な処遇をすることとなるのである。)。

原審裁判所はこの点に対する配慮も全く配慮も全く欠いているといわざるを得ない。

五、本件の犯行動機には大いに酌量の余地がある。

1 本件犯行の最も主要な動機は、被告人が、経済力、組織力において大手同業者に大きく見劣りする(株)エスティーシーに資金力をつけさせ、その存続をはかろうとしたことにある。

本件は被告人の私腹を肥やすが如き目的で敢行されたものではないのである。

そして、被告人が(株)エスティーシーに資金力をつけさせなければならないと考えた背景には次のような特別の事情があつたのである。

すなわち、これを敷術して述べると、(株)エスティーシーはもともと敗戦によりシンガポールから裸一貫で帰国して細々と食肉の小売業を営んでいた被告人が、昭和二六年に神戸市兵庫区の湊川中央市場内のわずかな区画に事務所をもうけ、資本金六〇〇万円で設立を果した法人であるが、卓抜した先見性を有していた被告人はその後間もなくの同二七年ころから、強力な指導力を発して(株)エスティーシーの基礎作りをする一方、我国の他業者に先がけてアメリカ合衆国などから食肉の輸入を開始し、その普及に血のにじむような努力を注ぎつづけた。そのかいあつて(株)エスティーシーの食肉輸入実績も着実に積み重ねられ、競争相手である大手総合商社とは資金力、組織力で大きく見劣りしながらも、同三二年にはこうした大手総合商社に伍して食肉輸入指定業者に指定されるまでになつたのである。

その後も(株)エスティーシーの業績は被告人のリーダーシップのもとで伸びをみせ、同六一年の輸入牛肉取扱量は指定商社三六社中四位にまで躍進したのである。

ところで、(株)エスティーシーのこうした業績向上をもらたした外部的要因として絶対に看過できないのは、同三二年ころ導入されたいわゆるアイ・キュー制度のもとで牛肉が輸入制限品目に指定され、その自由な輸入が制限されていたという特殊事情の存在である。

つまり、我国では国内の畜産農家保護のため、政府かアイ・キュー制度を導入して毎年の牛肉の輸入量の総枠を取り決め、同時に牛肉を輸入できるのも農水省の指定を受けた三六の指定業者に制限してきた。この制度があつてはじめて牛肉の無秩序な輸入、供給が防止され、このことが、結果的に資金力や組織力において見劣りする被告会社でさえ大手総合商社との競争に生き残つてこられた大きな原因にだったのである。

ところが、以前からとりざたされていたいわゆる牛肉の輸入自由化の問題が、日米協議の結果、牛肉の輸入枠を毎年九、〇〇〇頭づつ増やすこととされ、さらに一九九一年は四月からは完全自由化の方向で決着がはかられることになり、アイ・キュー制度の撤廃が確実となつてしまつたのである。

これにより、牛肉は誰もが自由に輸入できるようになり、このことが輸入肉の大量供給や供給過多、さらには食肉市場の暴落や値崩れのおそれを招くなど、(株)エスティーシーを取りまく現状は一転して極めて厳しくなることが必至の状況となつた。

目前に迫つた牛肉の自由貿易体制のなかで生き残れるのは何よりも大資本をもつ大手業者であり、こうした大手業者に比して資金力、組織力において格段に見劣りする(株)エスティーシーがアイ・キュー制度の廃止後も生き残るという保証は全くなくなつてしまつた。(ちなみに(株)エスティーシーの資本金は昭和四八年以後四八〇〇万円であり、従業員数も三〇名程度にすぎない)。そして、被告人としてはそれにとどまらず貿易の自由化による(株)エスティーシーの倒産をほとんど確実なものとして受けとめていたのである。

その念頭にあつたのはアイ・キュー制度が廃止されると(株)エスティーシーが潰されるとの確信に近い危機感それだけであり、貿易の自由化で「会社が潰れる」というのが口癖となつていたのである。

そして、被告人がこうした危機感を抱いたのも被告人が自由貿易体制のもとでの倒産劇を目のあたりにするといつた経験をしていたからである。

すなわち、我国では昭和三〇年ころ、自由貿易体制のもとで牛肉が無秩序に大量輸入された結果、当時で一〇〇刃七〇円であつた牛肉の価格が三五円に暴落し、そのため竹岸ハムなど多数の業者が倒産に追い込まれ従業員ら数多くのものが路頭に迷つたのである。

被告人はこれを目のあたりにしていた。こうした実体験を有していたがゆえ、被告人の危機感は一層切羽詰まつたものとなつたのであり、また被告人がそうした思いに駆り立てられていたのも誠に無理のないことであつたといわねばならない。

今度は(株)エスティーシーが潰れる番であるとの被告人の危機感はおそらく余人の想像をはるかに超えたものだつたにちがいない。

こうした状況のなかで、従業員らのためにも(株)エスティーシーを何とか存続させたいと思つた被告人はこれに資金力をつけさせるほうかないと考えたのである。

被告人にとつて資金を会社内に留保することは(株)エスティーシーの存続のためであり、さらにはそこに働く従業員やその家族の生活を守るためのものだつたのである。

してみれば、本件の犯行動機には大いに同情の余地があるというべきである。

2 この点に関し、原審裁判所は(株)エスティーシーは被告人の支配する企業であるとした上で、脱税は私的利益の増大に直結していると決めつけ、動機には特に斟酌すべきものがあるとは思われない旨判示している。

しかしながら、被告人が社内に留保した資金を私腹を肥やさんがため使つたりした事実はない。(株)エスティーシーが本税、付帯税等巨額の納税を果しえたのも被告人が留保した資金を使うことなく貯えていたからにほかならない。

(株)エスティーシーが被告人の支配する企業であつたとしても、あくまでも会社と個人は別個独立の存在なのであり、(株)エスティーシーの利益が被告人の利益というわけではない。

もちろん(株)エスティーシーの利益が結果として間接的に被告人の利益の増大をもたらすことはあるにしても、その場合でも被告人の利益の前にまず会社やそこで働く従業員、家族の利益があるのである。

原審裁判所の判示は相当とは思われない。

六、被告人には個人的利得は全くない。

前項中において述べたとおり被告人が私腹を肥やさんがために留保した資金を使った事実はない。

留保された資金は(株)エスティーシーの従業員の薄外給与や賞与、得意先のレストラン、食堂などの交際費などもつぱら(株)エスティーシーの経営基盤の確立のため支出されている。また三菱銀行兵庫支店などに定期預金されていた分も(株)エスティーシーの将来に備えるのためのもの、つまり会社に資金力をつけさせ、これを生き残らせるためのものであつた。

このように、被告人が本件によつて個人的に利得した金員のないこと明らかである。

七、被告人は(株)エスティーシーとともに厳しい社会的制裁にさらされていた。

本件はマスコミによつて大々的に報道されたことなどで、長年にわたつてこつこつ築き上げられてきた被告人や(株)エスティーシーの社会的信用が一気に失墜するに至つた。

のみならず、被告人は生涯で初めて本件により逮捕、勾留されるところとなつた。

そして、被告人は本件の責任をとつて、(株)エスティーシーや神戸ミート食品株式会社の取締役、神戸食肉売参事業協同組合、神戸新同和食肉事業協同組合の各理事長及び全国新同和食肉事業協同組合連合会会長などの役職をすべて辞任し、現在では事業に全く関与せずひたすら謹慎する身となつているのである。

他方、(株)エスティーシーにおいても三か月間にわたつて冷凍食肉の入札を自粛したり、卸部門においてホテルなどの一〇数社との取引が停止されるなど業界内での厳しい制裁にされされたのである。

八、本件犯行は手口が稚拙である。

本件犯行の主要な手口は売上除外、架空経費の計上であり、その操作にもごくありふれた手法が用いられている。

その上、たとえば架空経費の計上の仕方をみると、仕入先としてそもそも取引関係のない全国新同和食肉事業協同組合連合会などを利用しているし、利益の計上の仕方では昭和五八年頃から始まつた急激な円高により被告会社に膨大な円高差益がもたられていたことが明らかであるのに申告にかかる利益がこれを反映していないのである。

いずれも関係書類を精査すればより早い段階で容易に脱税の事実やその数字を把握できたはずのものであり、その意味で本件の手口は稚拙であつたといつてよい。

原審裁判所は犯行の態様が悪質である旨判事しているが、右に述べたことに照らせば本件手口が格別に悪質なものでないことは明らかである。

九、被告人は輸入食肉の草分けとして食肉業界に多大の貢献をしている。

1 まず被告人は近代化、組織化が遅れていた食肉業界の流通システムの整備に大いに尽力した。

すなわち、従来の食肉業界では、博労が個々に畜産農家から積荷した家畜を解体して出荷するといつた方式がとられており、その流通制度の組織化、近代化は大きく立遅れていた。そこで売り手側と買い手側双方の整備をはかることによつて業界全体の流通制度の組織化、近代化をはかることが緊急の課題となつていた。

そこでまず、売り手側の整備をはかるものとして、昭和四〇年頃当時の農林省の指導のもと、博労業界が出資して神戸市中央畜産荷受株式会社(以下中畜という)が設立され、中畜が家畜の集荷、解体、出荷を一手に引受けて神戸中央卸売市場へ出荷するシステムが組織化、明確化されるに至つた。

他方、買い手側の流通整備のためには旧来のように右市場において競りに参加する小売商が個々に代金を支払うという方法を改めて、買い手側の代金を確保して中畜へ支払いを確実にできるシステムへと組織化していく必要に迫られていた。

その組織化のために設立されたのが神戸食肉売参事業協同組合であり、これには神戸市の食肉関係者の八割が加入していた。

同組合が設立されたことで、右市場で競り落された食肉の代金の中畜への一括決済が可能となり、その結果、中畜から同市場への食肉の出荷も確保され、ここにおいて初めて売り手と買い手とが一体となつた食肉業界の流通整備が現実するに至つたのである。

このことは消費者に対する食肉の安定供給を可能ならしめたという意味でも異議深いことであつた。

ところで、右組合が設立できたのはひとえに被告人の尽力のたまものである。

被告人は誰もが尻込みをして引受けたがらない同組合理事長の職に敢えて就任し、右組合の設立を可能にしたのである。

すなわち、同組合の中畜への決済資金を金融機関から借入れる場合、理事長の職にあるものにおいて当該借入れの保証をしなければならなかつたことから、理事長に就任することは極めて大きい危険を伴うことであつた。そのため理事長の職の引受け手がなかつたのである。

しかし、こうしたことでは買い手側の流通制度の整備、組織化がいつまでも図れないことから、被告人が危険を承知で同組合理事長の職を引き受けたのである。

もし、その時被告人が自分自身や被告会社の利益のみを考えていたのであれば右理事長に就任することはなかつたであろう。

被告人の右理事長への就任が食肉業界の流通制度の整備、組織化の上で果たした意義は誠に大なるものがあつたといわねばならない。

2 また、被告人は輸入食肉の普及にも大いに功績を残している。

すなわち、被告人は昭和二七年頃から食肉の輸入を手掛けはじめた。そのころといえば、我国では輸入食肉など日本人の口にあわないとして見向きもされず、国民の食卓にのぼることもほとんどなかつた時代である。

しかし、被告人はそうしたころから独り食肉の輸入にとりくむ一方、以後長年にわたり、輸入食肉が日本人に受入れられるようこつこつと独創的な工夫を数多くこらしてきたのである。

その工夫の一端を挙げると生肉の状態で真空包装にする技術をいち早く日本に導入したこと、タレにつけこんで牛肉をやわらかくしたこと、日本になじむカットの方式を海外のパッカーに技術指導したこと、輸入コンテナの形状や温度設定に工夫をこらしたことなどである。

近年ようやく輸入肉に対する評価が向上してきたが、世間がこのように輸入肉にも目を向けるようになつてきた背景には長年にわたつてその普及のために努力を惜しまなかつた被告人の存在を忘れるわけにはいかない。

このように、被告人は輸入牛肉の草分け、生き辞引として輝かしい実績を残してきたのである。

一〇、被告人は本件を真摯に反省しており、再犯のおそれもない。

被告人は本件を真摯に反省し、その上に立つて、先に述べたようにすべての役職を退き本件以後事業には一切関与しておらず、(株)エスティーシーの運営も長男詳和らに全面的に譲つていること、右詳和ら十分の監督能力を備えたものが少なからず身近にいて、これらの者による適切な監督が期待できることなどから再犯のおそれは全くない。

また、すでに述べたように、被告人はすでに高齢で健康状態もすぐれずもはや事業家として復帰できる状況でもないのであつて、この点からも再犯の懸念は皆無である。

なお、(株)エスティーシーにおいても、その貿易部門と営業部門を分離して組織の改善をはかり責任の所在を明確化させること、経理部門は税理士三名、公認会計士二名によるチェックを受けること、その他帳簿にも経理部の複数のセクションが目を通し、振替伝票にも各人に署名させるなど意欲的な取組みをしており、再犯防止の方策は万全である。

一一、被告人は滋賀県の片田舎の極貧の家庭に生まれ、満足な教育も施されないまま武佐村尋常小学校を卒業するや直ちに京都、神戸、大阪などへ丁稚奉公に出された。

そしてそれ以来長年にわたつて肉職人として厳しい修業に耐え続け、着たいものも着ず、食べたいものも食べず、それこそ爪の先に火をともすような質素な生活にも我慢を重ね、ようやく(株)エスティーシーの創業にまでこぎつけたのである。被告会社が今日あるのも被告人の並はずれた努力のたまものといつても過言ではない。

振り返つてみれば、被告人の生涯は明けても暮れても仕事、仕事の日々であり、馬車馬のように働き通した一生であつた。

幼い時から味わい尽くしてきた苦労の連続の末にようやく被告人は功成り名遂げたのである。

これまでに働きづめであつた被告人は社会内で余生を平穏に過させるに値する人物である。

本件のほ脱税額が高額であることは否定できないにしても、原審裁判所が被告人に実刑判決を言渡したことで本件についてのけじめは一応ついている。もはや実刑にこだわる理由はなくなつたというべきである。

これらの諸情状に鑑みれば被告人を実刑にした点において原判決は重きに失するのでこれを破棄の上、執行猶予付の判決を言渡すのが相当と思料する次第である。

平成元年(う)第五七六号

法人税法違反

控訴趣意書(補充)

被告人 外池新吉

右被告人に対する頭書被告事件につき、平成元年四月二五日神戸地方裁判所が言渡した判決に対し、弁護人から申立てた控訴の理由に関し、左のとおり補充する。

平成二年一月二四日

右被告人弁護人

弁護士 小川真澄

弁護士 山上東一郎

弁護士 中村雅行

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

被告人は、自分自身が食肉業者として成功しえたのはひとえにまわりの人々からの力添えがあつたからこそと考えており、かねてよりその財産の一部を社会に寄付して恩返しをしたいとの希望を持つていた。

裁判中の身での寄付は、もとより被告人の本意とするところではないが、被告人は今般贖罪の意味からも二億円程の寄付を行なう決意を固め、近くこれを実行することにしている(この点控訴審において立証予定)。

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